坂本ヤエカという空間


坂本龍一さん。言わずもがな世界を舞台に活躍された音楽家ですが、無類の本好きであったことでも知られているようです。2017年頃から坂本図書というプロジェクトを開始していたそうで、それは彼がこれまで読んできた本を多くの人たちと共有するための場所を作るというものでした。2023年、実際に坂本図書という書籍が発売され、坂本図書という場所(住所は非公開!)ができ、そして彼は亡くなりました。


2025年、ライフスタイルブランドのYAECA HOME STOREがそんな坂本図書との新たな取り組みとして、白金台にて“坂本ヤエカ”をスタートさせました。

年季を感じる一軒家の入り口には看板もなく、坂本さんのテリトリーにそっとお邪魔するような感覚に。ひとたび足を踏み入れると天井がグッと高くなり、ほんのりとした明かりの広い空間にテーブルが一つ、椅子が4脚。静謐で、緊張感があって、でもどこか安らかな雰囲気に包まれています。

壁の一面が天井まである本棚になっていて、そこに坂本さんが読んできたという本たちが並んでいます。音楽や芸術に関する本はもちろん、フロイト、ユング、大江健三郎、などの社会学、哲学、建築、小説など、実に多岐にわたるラインナップでした。

三島由紀夫・大江健三郎・水上勉といった作家たちの作品を世に出してきた伝説の編集者であったお父様、坂本一亀(かずき)氏の影響を感じる部分もあり、印象に残りました。本棚にはその人が表れると言いますが、天才・坂本龍一を構成するものの一端を垣間見たような気がしました。
(※『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』河出文庫/田邊園子著はかなり面白いです)

ここでは坂本さんが所蔵していた本と同タイトルの古書を読んだり、田園調布の洋菓子店サヴールの美味しいバターケーキやコーヒーをいただくこともできます。最低限の物だけがある空間に身を置くと、一つひとつの事柄に腰を据えて向き合うことができたように思います。本を読むだけの時間、ケーキを味わうだけの時間、それぞれがとても濃密に感じられました。

大きな窓から庭に出ることもできます。驚いたのはそこに古いピアノがそのままポツンと置かれていたこと。これは以前から坂本さんがニューヨークの自宅の庭で行っていた“実験”で、雨風にさらされてピアノが自然に還っていくようすを観察していく(ときには弾いていたそう)試みで、坂本ヤエカの庭にはご本人が幼少期に実際使っていたものが使われています。


背面に当時の送り状がそのまま貼り付けられていたり、落ち葉が積もった鍵盤はすでに動かなくなっていたりと、なかなか見ることのできない光景。楽器なのはわかっていても、一つの生命がそこにあるということの美しさや強さを感じ、同時に“形あるものはいつか壊れる”、この理を思い出しました。

今を大切に積み重ねてこれからの人生の時間を紡いでいきたい、そんな気持ちにさせてしまう坂本ヤエカの空間の力に圧倒されました。